今日は7月10日。納豆の日。
私にとって世界で一番大切な人が自らの人生に区切りをつけた日。
「大好きだったんだ」と居なくなってから痛感した年子の姉の命日です。
今までの人生の中で一番後悔した日でもあります。
それと同時に、生と死、人生、色んなことについて考えるきっかけを姉がプレゼントしてくれた日でもあります。
あれから早6年(2017年現在)、東日本大震災のあった年でした。
***** 姉が亡くなる前の5年間 *****
姉は高校生。
特進クラスに通っていたのですが、
勉強ができたことで、周りからやっかみの対象となってしまいました。
高校3年時には、通学のため電車に乗ろうとしても体の震えが止まらなくなったり、
手の平に汗が溜まるほど手汗がひどくなったりしました。
便所飯をしながらも高校を卒業した姉は、
大学へ進学しました。
文芸サークルに入り楽しく活動していた時期もありましたが、
大学1年の時、姉は統合失調症と診断され、服薬を始めました。
大学1年の途中から休むことが増え、2年でさらに行けなくなり、
薬の種類と量は徐々に増えていきました。
大学は3年目で休学し、4年目も休学。
姉はアルバイトをしていたものの、
休学中は昼夜逆転気味の生活を送っていました。
大学4年目は処方された薬が合わなかったようで、
寝すぎたり、目が覚めても起きられなかったりと、
体調不良を訴えることが多かったです。
大学5年目。
姉自ら、今度こそ通学を頑張ると意気込んでいた矢先、
7月10日(納豆の日)、
姉はひとり旅立っていきました。
*****************************
当時、私は地元から離れた大学へ進学し一人暮らしをさせてもらっていたのですが、
姉が亡くなる1週間ほど前に、
実家に帰省していました。
その時、姉が好きだったDVDを一緒に見ようと誘ったのですが、
違うものが見たいと言い、怒ったように自室へ行ってしまいました。
思い起こせば、姉の様子はいつもと違い変でした。
亡くなる数日前に電話で、
「家を燃やしたい」と姉が話してくれた時、
「それはやめて」と言ってしまった私。
家を燃やしたいほど、
みんな死ねばいいと思うほど追い詰められていた姉に対して。
私が高校のクラスでハブられた時、姉は私のために怒りながら話を聞いてくれました。
ある時、姉は「麻央がいると家が明るくなる」と言ってくれました。
当時の彼氏さんにも妹のことが好きと、話してくれていました。
人のことを思える、姉でした。
「自分が人にされて嫌なことは、人にしちゃいけない」と教えてくれた姉でした。
その人生を通して、大切な人はしっかり大切にしろと、頭をガツンと叩いてくれた姉でした。
もう姉に直接恩返しはできません。
だから、これからは恩送りをしていきます。
このブログの中では、姉と関わる中で感じたこと・学ばせてもらったことを胸に、
不登校、引きこもり、生きづらさ、教育、家族に関わるテーマから、
私の地元である群馬や第二の故郷である中米ニカラグアの情報を発信していきたいと思います。
このブログは、今まで発信したことがない私の第一歩として、
続けていけたらと思います。
(高校時代の先生曰く)しっかりして見えるけど抜けている私ですが、
どうぞよろしくお願いいたします!