ブログタイトルは天野秀昭さんの著書『よみがえる子どもの輝く笑顔』の
”はじめに”に書いてある一文です。
この一文を図書館で読み、
色んな事を思い出してふいに泣いてしまい、
そうだよなあ、と深く思ったのと、
読み返したいことも多く、
健忘録として印象に残ったことを一部この場に書き留めておこうと思います。
・子どもにとっての本当の幸せとは、「生まれてきてよかった」という実感を持てること
8年前に自死した姉は、「死にたい」「生まれてこなければよかった」と話してくれたことがありました。
でも、別の日には「普通に学校へいって、普通に仕事して、普通に結婚したかった」と言っていました。
私は後者が姉の本音だと思います。
本心から死にたくて自ら命を絶つ方はいないと思うのです。
私は姉に出会え、家族がいて、毎日ご飯を食べられ、安心して眠れ、健康でいられ、
支えられながらも色んなことを経験させもらい、
最近とても幸せ者だと、
心から「生まれてきてよかった」と思えました。
生きていると楽しいことばかりではありませんが、(私自身、鬱状態になったり、車を運転中に今対向車線にハンドルを切ったら・・・などとボーっと考えたこともありました)
「生まれてきてよかった」と心から思える人が一人でも多く増えてほしいと思います。
そのために私ができることをライフワークにしていきます。
・都市化されていく社会において、自然はコントロールできず厄介。
都市化においては、予測不能は悪、予測可能は善。
子どもまでもがコントロールされ、均質化されていく。個性が失われていく。
例えば、天気。
ある程度は技術の進歩により予測できますが、正確にとはいきませんし、
コントロールはできませんよね。
また“空”を例に挙げても、色んな表情を持ち、一度として同じ空のことはありません。
人間も自然の一部です。
コントロールされ、みんな同じ動き・役割・性質を持つ機械ではありません。
それぞれが感情を持ち、ひとつの事柄について感じることもばらばら(★)です。
★脱線★ 星野源さんの「ばらばら」という歌詞を一部引用します。
世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう
⇩ カバーですが、コメント欄に歌詞全文が載っているので、気になる方はどうぞ。
・外からの目を気にしすぎる子どもたち、その子自身を殺す都市化された子ども
外からの目を気にしすぎているのは子どもたちだけではないと思います。
現に私もその一人でした。
社会からの目、地域からの目、大人からの目。色んな目。
目は“価値観”とも言い換えられると思います。
例えば、
ー義務教育の間は学校に通わなくてはいけない。
ー大学へ行かないと良い職場に就職できない。
ー電車の中でバナナ食べるとか、ありえない。
(⇑ 私が高校生の時に、乗客もまばらなローカル線内で顔見知りの後輩から言われた一言。
とてもお腹が減って、バナナしか持っていなかったんだもの。
中米ニカラグアでは、“バスの中でバナナ” は何度も見かけた光景です🍌)
時として、外からの目(価値観)はモチベーションを高める材料になるかもしれません。
でも反対に、外からの目に縛られて、身動きが取れなくなってしまうこともあると思います。
実際に私自身、退職した職場でモラルハラスメントにあっていた時は、
上司の目に縛られて、立場上言い返すこともできず、
自分を押し殺して、苦い思いをしました。
「評価は自分でするもんじゃない、人から評価されて初めて頑張ったといえるんだ」
とよく元上司は言っていましたが、
私は「人からの評価を得るために生きているんじゃない」と思いながら、
言葉を飲み込んでいました。
もしも外からの目や価値観によって、
自分の心の声を無視し続けると、
ある日、朝起きるのが辛くなったり、
目覚めても動けなかったり、体調が悪くなったりと、
人それぞれの方法で「本当はそんなことしたくないでしょう??」と体が教えてくれるようになります。
体の症状が出てからだと回復するまで時間がかかるので、
無理して我慢したり、自分を押し殺していることに気づいたら、
意識して自分の心の声を聞く時間を作りましょう。1日たとえ3分でも。
体の症状が改善しない場合は、
所属している場や環境から早期撤退することもひとつの選択肢だと思います。
時に“あなたのため”とアドバイスしてくださる方もいると思います。
※アドバイスすることが悪いと言っているのではありません。
しかし、
どんなにあなたのためを思って言ってくれたとしても、
アドバイスに責任は伴いません。人のことは何とでも言えてしまうからです。
あなたの人生を歩けるのはあなただけです(^_-)-☆
人の言うことに囚われず、
あなた自身の気持ちや感覚を大事にしていただけたらと思います。
・「他人に迷惑をかけないように」ではなく、「おたがいさま」の社会
家族に迷惑をかけないように、
職場に迷惑をかけないように、
友人に迷惑をかけないように、
苦しんでいませんか?
生前、大学を休学していた姉は苦しんでいました。
「家にいて、何もしていない。(本当は何もしてなくなんか、ないんですけれど)大学へ行っていないのにお金を使って迷惑ばかりかけている。生まれてこなければよかった。」
私も「迷惑がかかるから人を頼っちゃだめだ。自分のことなんだから自分でなんとかしないと」と苦しんでいたことがあります。
でも、今思うともっと早く人に相談して頼れば良かったと思います。
誰でも、一人では生きていけない「おたがいさま」の社会に生きているからです。
私は24歳で鬱状態になり、頭の中が整理できず思うように話せなくなり、
心から笑えなくなった時、
鬱経験者の先輩が話を聞いてくれて頼らせてもらったことで、
今はまた腹の底から笑えるようになりました。
誰かにお世話になったな、と思ったら、
その何年後でも、他の誰か困っている人に手をかしてあげたら、
それでいいんです。
Pay it Foward(ペイ・フォワード)です。
生きてるだけで丸もうけです。
※Pay it Foward とは(実用日本語表現辞典より)
ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいくこと
一緒に「おたがいさま」でいきましょう。
・子どもはA・K・U(あぶない・きたない・うるさい)
これはもう、そのまま、なーるほど!と思いました。
興味をもたれたら、『よみがえる子どもの輝く笑顔』を読んでみてください♪
もしブログ内容についても何かありましたら、コメントいただけると嬉しいです。
それでは、アディオス👐