生きづらさを抱える人の伴走者・セキグチ麻央のブログ

不登校・ひきこもり関係、地域の魅力(人やもの)、自然教育、青年海外協力隊、本などをテーマに発信します。

祖父が教えてくれたこと

2024年3月19日、祖父が92歳でこの世から旅立ちました。

今回は祖父が暮らしの中で教えてくれたことを、シェアできたらと思います。

高齢の方と関わる機会が少ない方に特に読んでいただけたら嬉しいです。

それでは、どうぞ🌱

 

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祖父からの最大の教え、それは、

 

“わたしたちが普段していることは、

  全くあたりまえじゃない”

 

ということです。

 

 

たとえば、(以下列挙します)

🌳自分の足で歩ける

 

🌳転ぶ心配なく、段差や距離の心配もなく移動できる

 

🌳自転車や電車、バス、自動車に乗れる

 

🌳自分でご飯を食べられる

(固いものを噛める・誤嚥せずに飲み込める・こぼさず食べられる)

 

🌳着替えができる

 

🌳トイレに一人で行ける

 

🌳目が見える(祖父は白内障で特に左目の視力が低かったです。食べ物を床にこぼしても気づかず踏んでしまうことは日常茶飯事。床もベタベタに。時計もよく見えないので家族に時間を聞いていました。)

 

🌳音や声がはっきり聞こえる(祖父は耳が遠くなり、テレビすら見なくなってしまったり、家族の声掛けに空返事をしたりしていました。)

 

🌳声が出せる(最後の方は声が出づらく、指差しで訴えていました。)

 

🌳寝起きが一人でできる(寝起きが大変で、テーブルに突っ伏し椅子で寝てしまうこともありました。)

 

🌳自分で暑いか寒いかが分かる(衣服による体温調節ができず冬場寒いのにパジャマ一枚でいたり、冷暖房をつけなかったりしました。)

 

🌳自分でお風呂に入れる(脱ぎ着に時間がかかり、お風呂に入ること自体が疲れてしまう。足が上がらず浴槽を跨げなくなり、晩年はデイサービスを利用していました。)

 

===(列挙ここまで)===

 

ここに挙げたことは、わたしたちが毎日何気なくしているけれど、

決してあたり前ではないことばかりなのだと、祖父の姿を見て気づかされました。

 

また、自分ができていることよりもできていないことに目を向けがちな私だけれど、

毎日できていることがこんなにあったんだ、と気づきました。

 

だから、日常のできていることに感謝していきたいと思えました。

 

先のことはわからないので、在り来たりかもしれませんが、

改めて家族と過ごす時間(別に会話がなかったとしても)を大事にしたいとも思いました。

 

 

空気みたいにあるのがあたり前すぎて、私は意識を向けていなかった日常のあれこれ。

皆さんはいかがでしょうか?

 

じいちゃん、教えてくれてありがとうね💚

 

それでは、アディオス🌈